2009年09月22日

熊谷辰治郎

熊谷辰治郎

熊谷辰治郎(1893〜1982)

 日本の青年団運動の萌芽期から戦前、戦時、戦後を貫き青年団運動の上に身をおいた人生は奇跡ともいえます。

 明治26年11月1日、岩手県気仙郡(現陸前高田市)に生まれました。
 大正3年3月、岩手師範学校第1部卒業。
 同年同月、同県上有住尋常高等小学校訓導。
 同5年3月、広田尋常高等小学校訓導。同10年3月、滞浜尋常高等小学校長。
 同11年3月、東京社会教育研究所(2カ年課程)に入所。
 同年6月、財団法人日本青年館調査嘱託。
 同13年12月、日本青年館主事。
 昭和7年9月、大日本連合青年団編集部長。
 同8年7月、「日本青年団発達年表」を発表。
 同年同月、「青年団の経営」を発刊。
 同13年9月、田子1民と共に、大きな目的を秘めて中華民国の旅に上ります。
 同年12月、大日本連合青年団、日本青年館総務部長。
 同14年3月、国民精神総動員委員会幹事に任ぜられます。
 同15年12月、大日本膏少年団の創立幹事を命ぜられます。
 同16年1月、大日本青少年団の総務部長兼企画部長となり日本青年館総務部長を兼ねます。
 同年8月、大日本青少年団、青少年教育研究所副所長。

 同年9月、大政翼賛会の調査委員となります。
 同17年8月、「大日本青年団史」編集発刊。
 同年9月、「大日本青少年の性格と指導」を発刊。
 同18年11月、大日本青少年団の実践局長。
 同19年8月、大東亜青少年団協力会の幹事長を委嘱せられ中華民国へ視察出張。
 同20年6月、大日本青少年団の解散に伴い自然退職となります。
 同21年4月、日本青年館評議員。
 同23年11月、公職追放。
 同27年11月、追放解除。
 同28年1月、日本4H協会常任理事。
 同年同月、日本青年連盟常任理事。
 同年7月、文部省社会教育審議会青少年分科審議会委員。
 同30年7月、文部省社会教育審議会委員。
 同34年9月、国立中央青年の家運営委員。
 同年11月、社会教育功労者として文部大臣より表彰されます。
 同35年12月、青少年指導育成の功労者として内閣総理大臣より表彰されます。
 同36年11月、青年団運動の功労著として藍綬褒章を受けました。
posted by ss at 15:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする